本邦建築史的な建設様式の流れは大まかに次のとおりである
1.寝殿造
平安時代に京都で成立した内裏を模した貴族住宅の様式をいう。
一辺が250mほどのほぼ正方形の広大な敷地に、外周は土塀をめぐらし敷地中心よりやや北側正面に寝殿(本殿)を南向きに建て南に面した中庭を取り囲むようにコの字形に建物を配置した、公務とプライベート空間を取り入れた住居と役所並びに来客接待の機能を有した館である。
内部は殆んど大広間となっており、屏風、御簾(みす)几帳などを適当に置いてさまざまな儀式、集会に対応できるようにする必要性があった。尚調度で室内を区切り飾り付けて設営することを室礼(しつらい)といいます。
又板敷の床には座る場所のみに畳や筵(みしろ)などの座具を敷いた。
中庭には島もある大きな池があり、観月、舟遊びなどもでき、一方北側には北対があり主に主人の妻の居所になり、そこから「北の方」「北の政所」(きたのまんどころ)といわれるようなったとされます。
したがって寝殿造とは、内装を言うのではなく主に「建物の配置」でいわゆる官邸建物に似た公邸、私邸、警備家屋など一体とした造りである。
2.書院造
江戸時代初期になると書院造が流行するようになります。
書院は本来、禅僧の住居の居間兼書斎の名称でしたが、時移り 「床の間」(とこのま)・「違棚」(ちがいたな)・付書院・天袋・床柱・「長押」(なげし)・欄間・鴨居・敷居・竿縁・「床框」(とこかまち)・畳床・竿縁・天井板などが生まれたものです。
書院造は、大きく分けて「表向き」と「奥向き」から構成されていましたが特にそれらの中心となったのが、対面や接客のために使用された書院(広間・対面所も)
3.数寄屋造
書院建築が重んじた格式・様式を極力排し虚飾を嫌い、茶人たちの精神性を反映し、質素ながらも洗練された意匠となっている。
雪見障子・猫間障子・組障子・板硝子など多彩に展開していく。
代表的な建物 1.桂離宮 2.伏見稲荷大社御茶屋 3.修学院離宮
※ともあれ現代の個人住宅に採用されるほとんどの建築用語はここから始まるといっても過言ではない